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ER=EPRに先行したもの (超入門編)

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極微な世界を記述する量子力学と巨大な時空を記述する重力の理論である相対論との統一は、物理学の難問である。 二つの理論は、それぞれの領域では、100年近くの間、大きな成功をおさめてきたのだが。それぞれ異なる理論体系に基づく、物理学が二つある? それは、奇妙なことだ。 このところ、この問題が解決できるのではという希望が生まれているように見える。 もっとも重要な飛躍は、物理学者マルデセーナによる次のような発見である。(だいぶ、テキトーにまとめている) 「キャンベルのスープ缶にたとえれば、重力理論はスープの理論で、量子論は缶の理論である。」 ブリキの缶の外側をいくらなぞっても、スープのことはわからない。逆に、いくらスープを舐めても、缶のことはわからない。 マルデセーナがエライのは、そうではないことを見つけたことである。 「スープと缶は、無関係ではなく関係がある。缶を調べれば、スープのことがわかり、スープを調べれば缶のことがわかる!」 量子論と相対論の、思わぬ接点が見つかったのだ。 それは、文字通り「接点」だった。重力理論(スープ)に「境界」を接して量子論(缶)が、棲んでいたのだから。これは、「境界」の重要性の発見でもあった。  J. M. Maldacena, “ The large N limit of superconformal  field theories and supergravity ”  (1998年1月) 次に、日本の二人の物理学者、笠と高柳が登場する。(以下も、テキトーなまとめ) 「スープ(「時空」だと思っていい)が二つの部分 AとBに別れているとする。AとBの「境界部分」は、スープの「境界」だから、マルデセーナの理論にしたがって量子論で記述できるはず。」(図2) 「やってみたら、この「境界」は、なんと、量子論の不思議な「もつれあい(エンタングルメント)」のエントロピーに対応するんだ!」 彼らは、「量子もつれあい」がエントロピーを持つことの、最初の発見者だ。これは、ベッケンシュタインによる、ブラックホールがエントロピーを持つことの発見に比肩できる発見だ。 Ryu and Takayanagi, “ Holographic derivation of entanglement ent

Scott Aaronsonの嘆き

先週のScott Aaronsonのblog "Higher-level causation exists (but I wish it didn’t) 「 高次の因果性は存在する(ただ、私は、そうでなかったことを望む)」”が興味深く、すこし悲しかった。 http://www.scottaaronson.com/blog/?p=3294 議論好きで議論に強いAaronsonが、珍しく自説を撤回して、立場を変えている。 論争の舞台は、「因果性」をめぐる、"Reductionism「還元主義」"と"Emergence「創発主義」"。単純化して言えば、「還元主義」は、全体はその部分に還元できると考えるのに対して、「創発主義」は、全体は部分に還元できず、全体には、新しい何かが立ち現れる(Emergence)と考える。 「鼻がかゆい。だから、鼻を掻いた。」のレベルでの「因果性」を、鼻を構成する量子の状態に還元する必要はないのは明らかだ。 画像の認識でも、重要なのは、全ての画素の持つ情報の総和ではなく、「巨視化」して得られるcoarse-grainedな情報である。 ミクロなシステムを「巨視化」してマクロなシステムとして捉える時、ミクロな情報の多くは失われ、新しい質が立ち現れる。それがエントロピーだ。 Aaronsonが、そういうことを知らないわけがない。 Aaronsonは、創発主義に基いて、人間の意識の数学的理論を構築しようとする「統合情報理論 Integrated Information Theory (IIT) 」の鋭い批判者だった。例えば、"Why I Am Not An Integrated Information Theorist (or, The Unconscious Expander)" http://www.scottaaronson.com/blog/?p=1799 彼の批判は、「還元」を更に推し進めようというものではなく、「統合情報理論」の無内容さに向けられたものだったように思う。このあたりの議論は、人工知能 とも深い結び付きがある。 ただ、ここでは、こうした議論に立ち入ることはやめて、なぜ、Aaronsonが見解を変えたかを見ておこうと思う。

Sting 来日

Stingが、久しぶりに日本に来るらしい。 悪人顔だが、Stingが好きだ。ロックのPoliceのころから。バックにジャズマンを使うジャズっぽいStingも。スランプを抜け出した感動ストーリー 付きの"Last Ship"も。 あばたもえくぼ。僕は、ビートルズで英語を勉強したみたいなものなのだが、イギリス人の英語(変な言い方だ)は、会話では聞き取るのが苦手だった。でも、Stingの英語は、ステキに思えた。 Stingのライブ・ステージを見たのは二回だけ。 最初は、80年代の終わり頃だと思うが、ソロになった彼が札幌に来たのを、稚内から聴きに行った。一泊二日の旅。札幌は遠かった。大きなアリーナでStingも遠かった。 二度目は、10年以上前かな。サンフランシスコのJava Oneで。Oracle Open World の客寄せイベントにStingが出ていた。(当時は、確かSalesforceが、Metalicaを呼んだりしていた) 大きな野外会場で、相変わらずStingは遠かった。うしろで、一緒に行った日本の若いエンジニアが、技術的な宗教論争をしていた。「うるさい!」とは言わなかった。うるさいのは、彼らだけではなかったから。 そういえば、この二年ほど、ライブにも国外のカンファレンスにも行ってないなあ。若い人が集まるところからも、オジサン・オバサンが集まるところからも、離れているということか。 きっと、僕は、少し「大人」になったのだと思う。 (などと、バカなことをいってみる)

Macbook Air の新モデル

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喜:「MacBook Airにまさかの動きが」 怒:「Airも超マイナーアップデートしました 」 哀:「プロセッサの基本スペックが1.8Ghzからに」 楽: 同じマシン、もう6年も使っている。ある意味すごい。    死ぬまで使えということかな?(マシンか僕か?) 去年、Macbook Pro 買ったんだけど(Kaby Lakeって何? おいしいの? くやしいから無視)、ねころんで仕事するには重いので、使うときは、たいていAirからリモートで使っている。やはり、Macbook Airが僕の主力マシン。 Macで一番人気のない、USB-Cが一つのMacbookがいいのかな、ねころんで仕事するには(そこが間違っている)、一番軽いから。 それより、ねころんで仕事するには(だから、... )こっちが魅力的だ。 「寝ながら読書/タブレット」 「病院に携帯して、透析時の読書に最適です。上体を起こしても仰向け姿勢でも使用できます。」 タブレット「謎の会社」のCPU使っている Nexus 7使っているんだけど、ちょっとガタがきている。ここは、iPad Pro? いやいや。タブレットは、4,980円のAmazon Fireのコスパが圧倒的。各社、値段のつけ方、間違ってるんじゃないかな。 小川 道夫   こういうのいかがでしょう?  https://www.amazon.co.jp/Tera-%E5%AF%9D%E3.../dp/B00EJ9X3UM 寝ながら読書ができる! プリズム眼鏡 寝たままメガネ ■素材:PC ■カラー:ブラック… AMAZON.CO.JP いいね!  ·  返信  ·  プレビューを削除  ·  昨日 11:03 丸山 不二夫   使い方、理解できないんですが .... 向いた方向の上が見える? いいね!  ·  返信  ·  1  ·  23時間前 丸山 不二夫   久しぶりに、頭使って考えたんですが、これって、やっぱり、書見台かタブレット・スタンドが必要なんですね。 いいね! 他のリアクションを見る  ·  返信  · 

「言葉の力」と「数理の力」 (1)

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「知能」や「認識」とは何かということが、僕の一つの関心なのだけれど、最近、よく「言葉の力」と「数理の力」について考えている。 「言葉の力」とは、言語が我々に与えた世界を認識する力のことで、「数理の力」というのは、数学や物理学が我々に与えた世界を認識する力のことである。(もっとも、「感覚の力」というのも重要だし、我々の世界に対する関係は「認識」だけであるとは限らない。ただ、そうした論点は、当面、留保しよう。) 10数万年前、おそらく突然に、「言葉の力」が、Homo属の一部に芽生える。それが、人間である。我々は皆、特殊能力を持ったそのミュータントの子孫なのである。その時から、人間と世界の関係は、劇的に変化する。人間は、その能力ゆえに、世界に対して、類人猿を含めた他の動物とは異なる振る舞いをするようになる。 自分の経験や考えを、仲間同士で伝えられるようになる、それは、近くにいた人間以外のHomo属にも、不思議な「テレパシー」能力に見えたことだろう。感情は豊かになる。同胞の死を悲しみ、死体を埋葬し、てあつくとむらう。直接的な「恐怖」ではなく、満天の星空を見上げて「畏怖」を感じる。自分自身の存在を含めて、世界は「謎」に満ちたものとして現れる。 生まれたばかりの人間は、その「謎」を「言葉の力」を使って説明しようとする。 宗教と芸術と科学は、そのプリミティブな形では、未分化で渾然一体の形ではあるが、言語能力の獲得と同時に生まれた。言語・宗教・芸術・科学の存在は、人間と動物を、決定的に分かつものだ。 -------------------------------------------------- 以下、Facebook上での議論です -------------------------------------------------- 中村 新一   人間だけが特別だと言うのは、果たして本当なのだろうか?(^^; いいね!  ·  返信  ·  1  ·  1時間前 Yoshiki Ashida   鋭い ❗ 座布団10枚 いいね!  ·  返信  ·  1  ·  1時間前  ·  編集済み 返信する…