意味の形式的理論 -- 素朴な対応理論1

オグデンとリチャードの「意味の三角形」の要点の一つは、三角形の底辺部分が欠けていることなのだが、これは、一つには「シンボル」とシンボルが表現する「被参照物」が、直接の関係を持たないことを表している。それは、ソシュールがいう「記号の恣意性」というのと、同じことである。
底辺の欠落には、もう一つの理由がある。底辺の左側の「シンボル」は思考の内側にのみ存在し、底辺の右側の「被参照物」は基本的には思考の外側のみに存在する。底辺の二項は、存在のあり方が異なっている。(ここでは、思考の内部の「被参照物」を直接には考察の対象とはしない。その意味では、素朴な対応理論である。)
底辺の二項を結びつけているのは、人間の言語能力・思考の作用である。こうした能力の存在を仮定すれば、底辺の二項はつながりを持つ。
この三角形の辺を動かして、一直線上に並べてみれば、「シンボル」とそれが表現する「被参照物」とは、二つの仕方で結びついていることがわかる。
一つは、思考の内側のシンボルが、思考の外部に存在するあるものを参照するという関係(図1右上の青い矢印)であり、もう一つは、思考の外部のあるものを思考の内部にシンボルとして取り込む(図1右下の緑の矢印)ことである。後者の、もっともプリミティブな言語化の例は、ものに名前を与えることである。(シンボル=名前=語)

図2は、我々の思考の内側の「語の世界」と、我々の思考の外部の「現実の世界」が、「名付け」と「参照」という逆方向の対応で結びつく様子を示している。

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