僕の車は、430円だった

20年以上乗っていた車を手放すことに。ディーラーから、「下取り価格、430円です」といわれる。
古い車の自動車税はどんどん高くなって、年間8万円以上払っていたのに、下取り430円ですか?
ゼロ査定だけど、新車の頭金をキリのいいところで切ってくれたので、それを下取り価格にしたということらしい。
ゼロだと諦めもつくが、430円は、かえって悲しい。
 まだ、ちゃんと走るのに。
 馬力もスピードもあるのに。
 乗り心地だっていいのに。
新しい車は、昔、電化されていない田舎の線路を走っていた「ディーゼル機関車」(若い人知らないかも)と同じで、エンジンで発電してモーターで走る。これを「電気自動車」と呼ぶなら、「ディーゼル機関車」も「電気機関車」だよな。
誰かをひき殺そうとしても、自分で壁に激突して自殺しようとしても、ちゃんと邪魔をする仕掛けがついているらしい。ありがたいことだ。
そのうえ、ペダルを踏めば加速し、ペダルを離すとブレーキがかかる。まるで、遊園地のゴーカートだ。きっと、僕でも運転できる。
でも、僕は運転免許を持っていないので、運転してはいけないらしい。(Googleの自動運転カーの試作車のあるものには、ハンドルがない。これは、もちろん、乗るのに、免許はいらない)
車を乗り換えるのは、何回か経験しているのだが、今回は、少し心が動く。車の写真など取ったことはなかったのだが、今回は、彼女に、「最後の写真」を取っといてほしいとお願いする。
理由は、はっきりしている。歳を取っていく自分と、廃車にされる車とを重ねているのだ。自分は、ポンコツ車ではないと思っているから。(けっこう、ガタがきているのだが)
「大きなエンジンは無駄」(小さなエンジンではできないこともある)
「燃費が悪いだろう」(講演料安すぎるから)
「安全装置もないだろう」(それがどうした!)
 まだ、ちゃんと走るのに。
 馬力もスピードもあるのに。
 乗り心地だっていいのに。
ごめんね。430円で、売り飛ばして。

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